教育と不登校を考える vol.2

東京家学・関西家学 代表 平栗将裕

「何のための勉強」という疑問に答える

あっという間に今年も残すところあと1か月となりました。これから年末年始にかけて、大人も子どもも楽しいイベント事がたくさんあり、みんなで集まるときには「ごちそう」をいただく機会も多くなると思います。

ところで、この「ごちそう」は御馳走と書きますね。
読んで字のごとく馳走とは走り回るという意味です。
きっとかつてこの言葉が生まれた時代には、肉も、魚も、野菜も、いろんな食材一度に食卓に並べることは大変なことだったはずです。
しかし我々の便利で豊かな社会では、「ごちそう」を準備するときに走り回る必要などありません。スーパーに行けば欲しいものは大体揃っているし、外食の時には食べたい物を注文するだけです。

この豊かになった社会を批判するつもりはありません。しかし、このことが当たり前に与えられるものだと考えるようになると、「ごちそう」が誰かの仕事によって揃えられているということを忘れてしまうのではないかと思うのです。

先日、近県の高校生4人組が学校の授業の一環ということで、本人たちが自らアポを取り、私たちの取材に来ました。
彼らは、「ソーシャルビジネスを立ち上げる」というテーマで話を聞きたいということだったので、「どうして普通のビジネスでなくて、ソーシャルビジネスが良いの?」と聞いてみました。
すると、自分たちの身近な問題を解決するようなビジネスを構想してみることが授業のテーマだから、不登校やいじめの問題などを解決するサービスできないか考えてみて、探していたらここにたどり着いたと教えてくれました。

高校生のうちから企業訪問をさせる学校の取り組みは立派だなと感心したのですが、一方で、学校に帰ってからの彼らの発表が「こういう企業がありました」ということで終わってしまうのではないかという一抹の不安がよぎり、おせっかいだったかもしれませんが、「世の中にビジネスってどういうものがある?」ということから考えてもらいました。

最初は「飲食店」とか「家電量販店」などしか出てこなかったのですが、「お父さんやお母さん、何の仕事してる?」「君たちの制服や筆箱は誰が作った?」と聞いていき、それこそ身近なところに、必ず誰かの仕事が存在するということに気がついてほしいと思い、話を進めていきました。

学生の時には誰でも、「何のために勉強するのか」「こんな事、社会に出て使うのだろうか」と疑問を持つと思いますし、私自身がそうでした。
今ならその疑問には「人に何かを提供するためには、いろんなことを知らなくてはいけないから」と答えたいと思います。

どんなところからでもスタートできる「自分の成長」

物やサービス、情報を受け取るだけの立場でいるとき、世の中で生きていくとはどういうことなのかわからなくなりがちです。
子どもたちも好きでそうなっているのではないでしょう。
社会との繋がりが見えず、社会の中で生きている実感を得られないでいる様子は苦しんでいるとすら思えます。

子どもたちも、いつかは物やサービスそして情報を提供する側の人間になっていく必要があります。
自分以外の誰かが必要としていることやものに気づき、新しい製品や解決策などを提供していくためには、自分の頭で考えられる人にならなければなりません。
そのための知性や社会性を身に着けていく過程が勉強であり、教育なのではないかと考えます。

勉強が楽しくないと思う根本的な原因は、自分のためにやっている感じがしない、やらされているという気持ちが強いからだと思います。
その気持ちの裏には、自分が何かを提供できる人になれるのだろうか、という不安や自信のなさがあるのでしょう。
そのように感じているときには、主体的に学習できませんが、自分の力を伸すためにやる、自分にはだんだん力がついてきている、と思えるようになると勉強に対しての意識が変わってくるものです。

他人がつくった物やサービスを簡単に手に入れることはできますが、自分の勉強を他人が代わりにやることはできません。

しかし、勉強することを実行に移す手伝いはできます。

心の中に何となくむなしい気持ち、もやもやしてすっきりしない気持ちがあるとしたら、自分自身のために、自分を成長させる喜びを感じるために一歩を踏み出してみましょう。
そんな思いを込めて、今月も家学の企画を準備しています。

今年やり残したことをなくして、おいしい「ごちそう」を食べましょう!

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